極東の島 サハリン チェーホフ山  пик Чехова 2019.8.11

 

8月の半ば、父の生まれ故郷であるサハリンへ行ってきた。

 

関東地方は猛暑で、気温35度なんて数字を見慣れてしまうくらいの夏だ。

 

 

父がサハリンで生まれたということは昔から知ってはいたが、特に詳しく聞く事もなかった。

 

その父も3年前に他界した。

貰った死亡届けには出生地「樺太元泊郡知取町」と記載されており、具体的な地名がわかった事で一度は行っておかないと、という気持ちが強くなったのだ。

 

 

知取町は現在Макаров(マカロフ)という町になっていて、ユジノサハリンスクから約200km北上した海沿いにある。

父が暮らしていた頃、祖父は製紙業、祖母は看護師をしていて、シロという名前の犬を飼っていたそうだ。

私が知っているのはそれだけである。

 

それにしても、通訳のワレンティーノさんが父と同じマカロフ出身だったのには驚いた。しかも私と同い年だ。

公共交通機関では日帰りで行くのが難しいという事だったので、今回はマカロフまで行くのは諦める事にした。

しかし、行けなかった事への焦燥感や失望感はなく、それよりもまたサハリンに行く口実が出来たようで不思議と嬉しかったのを覚えている。

 

 

「自らのルーツを探る」なんてそんな大層なものではないが、父が生まれて暮らした島が一体どんな場所だったのかずっと知りたかったのだ。

 

北国や寒い場所への憧れ、無意識に美しいと感じるものは北にあるような気がしていたのも、父がサハリンで生まれた事と少しは関係があるのかもしれない。 

 

 

 

南サハリンにある 1045mのチェーホフ山  пик Чехова(旧 鈴谷岳)は、州都ユジノサハリンスクからほど近く、サハリンに住む人にも馴染みが深い山である。

 

 

 

朝、8時前にロビーに行くと強面の男性がいた。山岳ガイドのウラジーミルさんだ。

 

私の出で立ちを見て「Mountain?」と言った。

Дa!Дa!」(そうです!そうです!)と答えると「私はウラジーミルだ。」と名前を教えてくれる。

こちらも、「Я Мисаки.」(私はミサキです。)と言うと、聞き慣れないであろう「ミサキ」の発音を「Ми са ки. Ми са ки.」と、何度も言い直してくれた。

 

程なくして、通訳のワレンティーノさんがやってきて、「さぁ、行きましょう!」と車に乗り込んだ。

私の他に日本人二人も一緒だ。

「こんにちはー。よろしくお願いします。」と日本語で話す。昨日はずっとロシア語にしか触れていなかったので少し安心した。

 

 

登山口までは車で15分程。

 

車内でウラジーミルさんが、私のフィルムカメラを見て「いいカメラだね。」と言ってくれた。翻訳機を使ってロシア語で打ってもらうと、ウラジーミルさんも普段Canonのデジタル一眼を使っているという。

 

「これは色丹島だよ。」と言って出したスマートフォンの画面には、島の海岸線や岩場で釣りをしていたりキャンプをしている風景が写っていた。

サハリンの人達は色丹島に時々行くらしい。

島は緑の草で覆われ、切り立った岩が海へ向けて落ちている。

灰色の空と海の向こうには小さな島々が見えていた。

 

また、サハリンの紅葉した美しい森の写真や、荘厳な滝や、透き通った川も見せてくれた。

拙いロシア語で「Как красиво!」(なんて綺麗なんでしょう!)と私が言うと、ウラジーミルさんは嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

登山口の標高は、293m。山頂までの標高差は約700mだ。一番左下の赤い文字を後で調べてみると「トレイルの始まり」という意味だった。

 

登り始めは針葉樹林の森。シダが一面を覆い、とても静かだ。

 

 

 

次第に、急な上り坂が出て来る。思った以上に急登だ。地面は土が出ているので、足の置き場が悪いとズルッと滑ってしまう。

道の脇にはロープが張ってあるので、それを掴んで登って行った。

 

 

また、水不足を心配して持ってきた水1.5ℓ+支給された水1ℓで、2.5kgだ。じわじわと体に負荷がかかってきているのが分かり、息が切れる。

ワレンティーノさんが心配して荷物を持ってくれたおかげで、休憩ポイントまでいいペースで来ることが出来た。

 

 

 

カラス岩と呼ばれるこのポイントまでが一番きつい。

それ以降も登るのだが、そこまで急登ではないのでこの地点までが踏ん張りどころである。

 

 

あたりは霧が立ち込めて何も見えなかった。

 

休んでいると、ウラジーミルさんがこっちこっち!と花を見つけては教えてくれる。

なんという花か聞き、その花の名前を復唱してみるのだが、発音が微妙に違うらしく笑いながら訂正してくれた。

 

ピークは6月だそうだが、まだちらほらと花が咲いていた。

 

 

「これは体にいいぞ」とくれたのは朝鮮の木の実の砂糖漬けだ。鮮やかな朱色とピンクを混ぜたようなその実を水に入れてみる。飲むと甘酸っぱい爽やかな味が口に広がった。

実も一緒に食べたほうがいいと言うので食べてみると少し苦味がある。種に栄養があるんだそうだ。

 

 

再び登り始めると、「これは食べてはいけないベリーだよ」とウラジーミルさんが言った。

そのあとガシガシと藪漕ぎをしだし、食べられるベリーを取ってきてくれたのでみんなで食べてみる。

 

ものすごく酸っぱくてヒャーッっと顔を歪めていると大笑いされた。まだ熟していなかったようだ。

 

 

植生が少し変わり、白樺の森になった。下には笹が生えていた。

 

 

しばらく歩いていると、カランコロンと何やら音がしてきた。

 

地元のお爺さんが熊鈴を鳴らしながら、長い棒を杖にして登ってきた。首からはベリーを入れる容器を下げている。

これがサハリンのトラディショナルスタイルなのだろう。

 

日本にも山菜取りお爺さんがいるので、所変われど皆やることは一緒のようである。

 

 

標高が上がるにつれ、木がまばらに、そして低くなってきた。稜線はもう近いのかもしれない。

 

 

10:20 

 

標識の5番目のポイントまで登ってきた。周辺はまだ霧に包まれたままだ。

 

 

休憩中に貰ったひまわりの種。サハリンの人はよく食べるのだろうか。中だけを食べるのだが、なかなか上手く食べられなかった。

 

 

こちらもウラジーミルさんがくれたアンズ。

やっぱり山だとドライフルーツがとても美味しい。「市場で売っているよ」と言っていた。

 

休憩を終え、出発するタイミングで霧が晴れてきた。きっともう少しで稜線だ。

 

 

白樺の林を抜け稜線へ出ると、雲の切れ間から頂上の小屋が現れた。ああ、あそこに行くのか!と胸が高鳴る。

 

 

チェーホフ山の標高はわずか1045mだが緯度が高い為、植生は日本の2000m半ば程の山岳と似ていた。

背の高い這松が生い茂り、そこかしこに高山植物が生えている。

 

コケモモは地面にぎっちりと生え実をつけ始めていた。食べごろは9月〜10月。試しに食べてみるとまだえぐみが残り酸っぱかった。

秋にはヒグマがこれを食べにやって来るらしい。

 

 

山の中腹から見えたのは、プーシキン山。チェーホフ山よりも少しだけ高く、南サハリンの最高峰だ。

 

 

色々説明してくれているウラジーミルさん。

 

 

休憩している時、ワレンティーノさんがスマートフォンでブルーライトヨコハマの曲を流し始めた。

お気に入りの日本の曲なのだそう。

彼は大学で日本語を専攻し、京都の大学にも留学していたという。日本人の私たちよりも好みが渋く、古風で優しい。

 

ウラジーミルさんもこの曲が好きなようで、鼻歌まじりで上機嫌だ。

「一曲終わるまで休憩しよう!」とノリノリになったウラジーミルさんは、おもむろに私の手を取って踊り出した。

チークダンスなんてやった経験がなかったが、いい気分でなんとなく踊れば楽しいものである。

 

踊っている時のウラジーミルさんは、朝会った時とは全く違う人のようだった。サハリンの紳士達は実はとても陽気で優しかったのだ。

 

 

休憩を終え進み始めると、上空をたくさんのツバメが飛び交っている。それは、日本の山では見ない光景だった。

 

 

背の高い這松をかき分けて山頂を目指していると、近づくにつれて曇っていた空が青へと変わっていく。

 

 

サハリンの山は日本の山と似ているけれど、でもどこか違っていて不思議な感覚になった。

 

 

チェーホフ山は岩と這松が混ざった山容だ。

 

稜線に出てからは、なだらかな道が続く。さっきまで遠くに見えていた山頂の小屋も近づいてきた。もう少し。

 

 

12:00ちょうど、山頂へ到着。

 

頂上には特に標識などはなく、この朽ちた小屋が目印だ。

 

 

雲の中にぽっかりと浮かぶは、先ほど中腹で見ていたプーシキン山。まるで島のよう。

 

 

少しすると霧が晴れて山の全貌が見えてきた。

 

 

朽ちた小屋の陰でみんなでお昼ご飯を食べた。

用意してもらったのは、焼いたチキン、ご飯、パン、サラダ、フルーツジュースだ。なかなかのボリュームだったが、おなかがペコペコだったのでペロリと完食。普段の山の食事と違ってとても豪勢で美味しかった。

 

 

小屋の中を覗き込んでみると、穴の向こうにプーシキン山が見えている。

 

 

小屋はもうその機能を果たしてはいない。

中には苔や植物が生え始め、自然と人工の狭間にあるのだ。外側の落書きも小屋と共に朽ちていっているように感じた。

 

 

この稜線を辿っていくとどこに着くのだろう…と想像しながらしばらく景色を眺める。

 

 

付近の岩場の隙間には高山植物たちが生える。これは、なんの実?

 

 

ワレンティーノさんに、写真を撮るので何かポーズをとってと言うと、双眼鏡を取り出し「〜作戦開始!!」と向こうの山を偵察し始めた。

 

我ながらいい写真が撮れたと思う。無理を聞いてくれてありがとう。

 

 

一時間ほど過ごし、山頂を後にする。時間に余裕があったので、ゆっくりと下る事にした。

 

 

理由は分からないけれど、魅力的な岩。無骨ながらもバランスをとってそこにいる。

風になびく這松とは対照的であった。

 

 

山頂からすぐ下あたりある、道中で唯一岩場を歩く箇所だ。たまに浮石があるが足場はしっかりしている。

岩の隙間に足を引っ掛けないように歩けば心配はない。

 

 

山頂に一番近い休憩ポイントまで下ってきた。

岩の後ろに来てごらん、とウラジーミルさんが手招きする。

 

花はもうほとんど咲き終わってしまっていたが、かろうじて日陰に咲いていたオレンジの花。

帰国してから調べたところ、ホソバイワベンケイに似ていたが、果たしてそうだろうか。

 

 

この花も一つ二つ残っていた。白くて小さな可愛い花だ。

 

 

こっちはピンクが鮮やかな花だ。葉が豆科みたいだが、蔓ではなかった。

 

 

こちらは、固有種だと教えてもらったのだが名前が分からなかった。

ネコノメソウの仲間?

 

 

巨大な岩の後ろから帰ってきて一休みしている時、自分が絵描きである事を伝え、私が描いた山の絵の絵葉書と名刺を二人に渡した。

 

「好きな絵のものをとってください。」と言うと、それぞれ気に入ったものを貰ってくれた。

 

 

ウラジーミルさんが「お礼に朝見せたサハリンの写真を贈るよ!」と言ってくれたので、てっきりメールで送ってくれるのだとこの時は思っていた。

しかし次の日、フロントから電話が。

ロシア語で何を言っているかさっぱりわからなかったが、なんとなく「フロントまで来て!」と言っているようだった。

急いで部屋を出ると、ウラジーミルさんが「Мисаки!」と言ってエレベーターの前にいた。

 

私が泊まるホテルまで、プリントして何枚かの写真を持ってきてくれたのだ。しかも額にまで入れてくれている。

それはサハリンの湖のほとりや、色丹島の静かで美しい風景だった。

 

私は拙いロシア語でбольшое Спасибо !」(本当にありがとうございます。)Как красиво!」(なんて綺麗なんでしょう!)と何度も言う事くらいしか出来なかった。

 

 

外国だけど外国じゃない、父の故郷の島 サハリン。

 

サハリンに行って本当に良かった。きっと父も喜んでくれているだろう、そんな気がしてならない。

 

 

 

最後に、合っているか分からないけれどロシア語で。

 

Мне очень нравится Сахалин ! (私はサハリンがとても好きです。)
Сердечно благодарю вас, Г-н Владимир и Г-н Валентин.(ウラジーミル氏、ワレンティーノ氏に心から感謝します。)
Мисаки.(美咲)